藤田田の頭の中 - ハンバーガーを和食に変えた男 マクドナルド独り勝ちの秘密

藤田田の頭の中 - ハンバーガーを和食に変えた男 マクドナルド独り勝ちの秘密藤田田の頭の中 - ハンバーガーを和食に変えた男 マクドナルド独り勝ちの秘密
日本実業出版社
2001年8月

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まえがき

ここに一人の男がいます。その名を藤田田(フジタデン)。日本マクドナルドのオーナー創業者です。その総店舗数は年々増え続け、現在約3,700店。その店舗による年間売上高は約3,600億円(総売上高は約4,300億円=2001年12月末日期)。本書が出る頃には、同社は株式の店頭公開を果たしており、当人は大きな話題の主になっていることでしょう。

藤田田氏個人についていえば、すでに1999年度の長者番付で堂々の総合二位に輝き、推定年収54億円。一日あたり1,500万円を稼ぎ出していましたが、今回の株式公開によって、一気に数百億円のお金を手にする稀代の“ジャパニーズ・ドリーマー”。まさに“アントレプレナーの雄”といった人物です。

藤田田氏は1926年、大阪府下に生まれ、太平洋戦争が終結したあと東京大学法学部に進みますが、日本に進駐してきたGHQ(連合国最高司令官総司令部)の通訳として働きます。そこで出会ったアメリカ人下士官から“ユダヤ商法”を伝授され、学生の身ながら、藤田商店という貿易会社を興しました。

当時、本人は自らを「銀座のユダヤ人」と名乗って商売を拡大していきますが、その成功の決め手となったのは、何といってもマクドナルドと合併ビジネスをスタートした事でしょう。1971年7月に東京・銀座四丁目の角にある三越デパート一階の軒先を借りて、「日本マクドナルド銀座三越店」を開店します。幸運な事に、機を同じくして銀座三越前が歩行者天国となり、人びとは先を争ってマクドナルド・ハンバーガーを求めて長蛇の列を成し、数ヵ月後には売り上げ世界新記録を作り上げる快挙を成し遂げます。それ以降はとどまるところを知らず、2001年には総店舗数3,700店を数える大レストラン・ビジネスにまでに巨大発展するのです。

この間、藤田田氏はハンバーガーを日本に普及させる事によって、「日本人の体格をアメリカ人並みにしよう、日本人の黒髪を金髪にしよう」と言い、ハンバーガーを「ご飯と味噌汁に代わる和食にしよう」という信念で、事業に邁進してきました。創業当初は、日本国内のマクドナルドの店内で中高年ビジネスマンの姿を見ることなど非常に稀なことでしたが、いまでは珍しくもなんともなくなりました。まさに日本人の食習慣を変えてしまったのです。

藤田田社長は、辣腕でシビアな人ですが、その反面、シドニーに社用できたときには、わざわざ私に声を掛けて夕食を共にするという人情味溢れた一面も持っています。広い世の中には偉大な人物は多く存在しますが、1971年に日本マクドナルドを興し、一代三十年そこそこで、いまや世界の名高き経営者の一人として名前を連ねる人物に直接、指導を受けたという幸運は誰もが持てるものではないと思っています。

藤田田氏に関する書物はそれほど多くありません。特に直接、薫陶を受けた者が、藤田田という人物のビジネス哲学、人心収攬術、金銭哲学、そして、その人となりを赤裸々に語り、世に問うのは稀ではないかと思っています。つまり、藤田田という偉大な人物の「頭の中」は一体、どうなっているのか --- を、間近で見てきた人間の率直な目を通して伝えたいというのが、本書執筆の動機です。

それが、私の藤田田社長への一握りの恩返しになるのではないかと考えると同時に、多くのビジネスマン諸氏にとっても、参考になることがあるのではないか。「デン・イズム」をあまねく世界に知らしめることによって、読者のみなさんにも、成功への道を目指していただければと考えるのです。


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